The Kiss




         The Kiss


任務から戻ってきて教授に呼ばれ指し示されたソファに座るとにっこりと教授は微笑って手元にあるコーヒーのカップに手を付けた。
「あれから夢はどうだね?」
多少のセラピーのおかげで、前ほどは酷くなくなった悪夢の事を言っているらしい教授に頷く事で答えると教授はコーヒーを口に運んだ。
香ばしい香りは彼の好きなものであり、自分にはあまり得意ではないものだ。だが嫌悪感がわくものではなく、自分にはあまり馴染みの無い穏やかなイメージの連想からの苦手意識なのだと言う事も自覚している。
「飲まないのかね?」
は、と顔を上げれば少し困ったような顔をしている教授が居る。
「私の好みで入れたから君の口には合わないかもしれないが……」
「いや、いただくよ。コーヒーを入れてもらうのも嫌いじゃないからな」
何だか酷くくすぐったい気分でソーサーに乗るカップを取って少し口に含むと独特の豆の入り交じった味がした。
「おいしいかね?」
背後の木々のざわめきと穏やかな風を感じながら頷くと教授は笑ってそれならばよかった、と何がそんなに嬉しかったのか穏やかに笑った。
木々に遮られて差す日の穏やかな光に照らされた書斎は本当に穏やかで、まるで家に居るようなそんな錯覚さえ覚えるほど暖かな気分になった。
ゆっくりと互いに話もせず座っていると扉をノックする音と共に明るい声が聞こえる。
「教授、失礼してもいいですか?」
「ああ、ジュビリー。入りなさい。」
「今日の訓練、……サボって、ごめんなさい。」
入った先で謝るジュビリーに教授は静かに笑って言った。
「君には君の都合があるのだろうが、此処は学校だ。集団生活をする上で守らなければならないルールもある。」
「……ごめんなさい」
「わかってくれれば良いんだ。次は君の好きなアーチストのライブに係らないように私も気を付けるよ。」
「!あ、ありがとう、ございます、教授」
抜け出した先までバレていた事に顔を引き攣らせたジュビリーに内心同情しながら葉巻に火を点けようとすると教授はにっこりとウルヴァリンを見た。

「あーあ、ついてないな。よりによってジャガイモの皮剥きなんてさ。ウルヴィーは爪あるから楽でいいよねー」
「爪なんか使えるかよ、この年になって罰でジャガイモの皮剥きとは本当に笑えるぜ全く」
ぶつぶつ文句を言っている割にどこかお互い可笑しくてたまらないのが解って二人は笑った。
「ウルヴィーは昔先生や親に叱られてこんな事させられた記憶ってある?」
「さぁ。あったとしても…憶えてねぇよ。」
「アタシはさ、変な話どっちにも怖がられてたからないんだよね……あんなふうに怒ってくれる人、はじめてかも。」
ふふ、と擽ったそうに笑う目の前の少女も自分と同じようにあの空気をくすぐったいものに感じていた事にウルヴァリンは微笑んだ。
大きな籠に沢山入っていたジャガイモは見る間に少なくなり世間話をしているうちになくなってしまった。
ジュビリーはウルヴァリンの使っていた分のナイフも洗って水場に置いて言った。
「ありがと。」
「何が?」
「だってこれ、アタシひとりでやらされる所を…」
「まぁいつも規則破りな俺が何もしないってのも、な。」
ポケットから出した葉巻に火を点けたのを見てジュビリーは笑った。
「でも、ありがとう。」
そっと背伸びして額に触れた柔らかい感触。
ジュビリーは大きく手を振ってもう駆け出していた。

何だかとても穏やかな気分だった。
優しい暖かい気持ち。こんな気分になるのは久しぶりでウルヴァリンは赤く染まった外を眺めていた。
ゆっくりと踵を返して廊下を歩いているとサイクロップスとジーンの姿が見える。
「じゃ、また後でね、サイク。」
「ああ、また。ジーン」
優しく頬に触れ、身体を抱きしめサイクロップスはジーンに唇を落した。ジーンは穏やかな表情でその唇を吸い深く重ねる。
解かってはいた。解かってはいるがそれでもやりきれない気分だった。
音を立てずにそこを離れ廊下を歩いていくと子供たちと笑う教授の姿が見えた。
「教授、また明日。」
「ああ、明日は是非君の作った詩を聞かせてくれ」
「はい。」
教授は彼女の髪を撫で額に唇を落した。彼女はくすくす笑いながら挨拶をして走っていった。
その姿が先刻の少女の姿に重なり、何故か切なくなった。

「よう、良い夜だな」
「今日はお前とじゃれ合う気分じゃねぇ。消えろ」
少しでもあの穏やかな場所から離れたくて逃げるように転がりこんだ酒場でもう何本目か解らない酒を空けると現れた大きな図体の男は鼻で笑って目の前の椅子に座って自分の酒を注文する。
「酔ったつもりの気分しか味わえない身体ってのも不便なもんだよなぁオイ、ちび」
「邪魔だ、消えろ。」
酒臭いであろう息で言うが相手には全く効果はないようで注文した酒を飲みながらにやにやしている。
「消えさせたいなら掛かって来いよ、ほら、殺したいんだろ?俺を」
「そんな気分じゃねぇって言ってんのが聞こえねぇのかてめぇは。」
威嚇するような尖った気持ちは成りを潜めていた。実際自分は落ち込んでいるのだろう。ウルヴァリンはそんなことを客観的に感じている自分にすら落ち込んだ。
「今の俺とやったって何の面白味もないぜ、セイバートゥース。何も感じねぇんだから。お前も、お前に殺された彼女の事も、今は何とも思えねぇ。それでもよきゃやってやるよ」
「女にふられたのがそんなに堪えてんのか?」
呆れた様な声に答える気も無くて酒を呷る。
酔えない身体が本当に疎ましい。せめて脳みそだけでも酔えればいいのに。
「何とでも言え、俺は飲む。さっさと消えろ」
「面倒くせぇチビだぜ全く、意味の無い酒はやめな。馬鹿馬鹿しくて見てらんねぇぜ」
「馬鹿馬鹿しい?馬鹿馬鹿しいだと?貴様とのこのずるずるしてる嫌な因縁のがよっぽど馬鹿馬鹿しいぜ!」
「ああそうかよ、おまえにナルシスト趣味があるとは知らなかったぜ。似合わねぇからやめな、本当に」
セイバートゥースが鼻で笑いながら言った台詞にウルヴァリンは手を止めた。
「ナルシスト?」
「わかんねぇか?わかんねぇなら言葉で説明してやるよ。今のおまえは振られて落ち込んだ自分を見せびらかして慰めて欲しがってる唯の馬鹿だって言ってんだ。しかもそんな可哀相な自分に酔ってるナルシスト野郎だって言ってんだよ。」
「てめぇ本気で俺に殺されたいらしいな」
否定できない自分に立てる爪。セイバートゥースはそれを解っていて笑った。
「少しは眼が醒めたか?ちび。生ぬるい湯に上せた頭はそう簡単には冷めないか?」
「………表に出な、お望み通り刻んでやるぜ」
戻ってきた眼の光にセイバートゥースは牙を立てて笑った。

向き合って睨み合う。身体の奥から沸く熱い炎に確かに自分は歓喜を憶えている。
セイバートゥースは心底楽しそうに笑った。
穏やかなあの場所で感じたそれとは全く違う、身体が震えるほどの快楽。
身体が動く。爪が自分の意志より先に獲物を刻もうと走る、それがたまらない。ああ、熱い。
「たまんねぇんだろ?解かるぜ……俺も、」
腹部を貫通するセイバートゥースの爪を感じたまま耳元で囁かれる声は酷く穏やかで、
「ぐ、っは……ぁ、最低、だ、ぜッ」
血を吐きながら腹に力を入れて目の前の巨体の頭に頭突きを食らわせるとうめいて力が緩んだ隙を付いて距離を取る。
「来いよ、オラ、誘ったのはてめぇだろうがセイバートゥース。」
傷を押さえたまま言う台詞にセイバートゥースは笑った。
「上等ぉッ」
もう塞がりはじめた表の皮膚に笑みを深めながら身体の奥で吠える獣の欲求のままに動いた。
そこには痛みも苦しさも何もない、ただマグマの様な何もかもを溶かし壊す熱だけが支配していた。
つかみ合って爪を突き立て合って引っ掻き揉みくちゃになっているうちに首筋に牙を立てられ、うめきながら顔を背けてその巨体の下から矧いだそうともがくがそれは許されなかった。
首筋を噛んでいた歯が引き抜かれる嫌な感触。
どっと吹き出す血の鉄の臭いと目の前の男の血に染まった口を吸い寄せられるように見ていると、セイバートゥースは笑った。
「          」
何を言ったのかはわからなかった、だが。
その甘い鉄の臭いのする血に染まった唇に唇を塞がれ、ウルヴァリンは欲求のまま眼を閉じる事に何も感じなかった。
緩く吸い、血に濡れる牙を舐める。
すると何を思ったのかセイバートゥースは先刻よりも深く、何もかもを奪うような強さで唇を吸った。
ウルヴァリンは眼を閉じ、あの少女の落していった穏やかなキスを思い出した。
それは酷く遠く、優しく、暖かい微温湯のような感触だった。
身体の奥の獣の血がざわめくこの男とのそれにしか脳髄の奥が痺れるような快楽を覚えない自分が、堪らなく悲しかった。

傷は癒える。癒え続ける。
その奥で軋む自我が、それに震えて泣いた。



                                     了




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