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1.
「お疲れ様」
 チャールズとエリックは、アイリッシュ・パブで一杯引っ掛けた後、今日はもう適当な宿を見つけて休もうということになり、泊まる所を探して歩いていた。今回は目的の座標の位置近くまで来ていたが、中々そのミュータントを特定出来なかった。
「空振り…か」
「こういうこともあるよ。きっと僕らがここまで来る間にどこか遠くへ行ってしまったんだ」
「そうかもな…」
「飛行機じゃ、地球の裏側まで大分時間がかかるしね。セレブロが持ち歩ければいいのに…」
 エリックはしばらく何か考えるようなそぶりをしてから、口を開いた。
「…その、嫌だったら答えなくてもいいんだが」
 そう前置きをしてから続けた。
「お前が、例えば誰かを探しているとして、どれ位の距離までなら離れていてもわかるんだ?」
「ふむ…」
「それに、そもそも、どうやって識別している?」
「うーん、今回に限っては顔…かな…」
「は?」
 エリックは口を少しあけて、拍子抜けしたような声を出した。
「ははは、冗談だよ…」
 君の顔最高、と上機嫌でチャールズは笑った。
「酔っ払いめ」
「いいや、酔ってないよ。ちょっと気分が良いだけだ」
 くるりとエリックの周りを踊りながら回るようにする。歩幅が違うのでかなり前の方に向けての動きになった。小さいから余計によく動いてるように見えるな…とエリックは思った。口には出さなかったが、エリックは少し歩幅を小さくした。そんなエリックの気遣いを他所に、一回りして右隣に戻ってきたチャールズは無言のエリックに向けて片目を瞑る。
「そうだね…。胡散臭く感じるかもしれないけど、オーラみたいなもの。色と温度かな…。大体の人は普通にしてても何かしら出てるから分かるんだ。ただ、その人が何か強い感情を抱えてたり、表出したいけど出来ない願望だったり、訴えかけたい何かだね。それがあると、ある程度遠くからでも分かることもある」
 だから一概に半径何メートルとは決められないんだ、とチャールズは続けた。
「計算式にでもしてみるか?」
「ハンクに頼んでみようか。意外とあの機械からデータを取って、もう何かしてるかもしれないよ」
 あくまで楽しそうに笑うチャールズと、セレブロでヘッドギアのような装置をつけていた姿が重なって、エリックは唇の端を歪めた。その姿から過去に思いを馳せようとしていた所に、チャールズが口を開く。
「僕にも質問させてよ」
「能力に関しては、あまり調べたことは無いんだ」
 その後に小さく、自分では…と付け加える。エリックの瞳が少し伏せられチャールズから遠い側にそらされる。シュミットに色々と弄り回された記憶はあるが、それが何の為なのか、どんな記録を取っていたのか、正確な事はエリックには分からなかった。
「鉄を動かすことが出来る。形を変える事も。距離は…分からない。あいつは俺を…」
「エリック」
「怒りだと」
「エリック」
 エリックの手は強く握り締められ、震えていた。それを包み込むように。
「ここにしよう」
 そういって、チャールズはエリックの手を取った。それが会話を打ち切るための方便だったのかは、エリックには分からなかった。だが、手を引かれて悪い気はしなかった。自分も酔っているのかもしれない。エリックはふとそう思いながら、引かれるままその中に入った。


2.
 部屋を借りるのは、簡単だった。入ってすぐ入り口に座っていた初老の婦人は何も言わず鍵を渡してきた。チャールズは礼を言ってそれを受け取ると、エリックの前に立って歩き始めた。階段の方を指差したあと上り始める。ぎしぎしときしむ木製の階段を上がりきると窓があり、そこから月の光が差していた。そういえば、ここに来るまでの道すがらもやけに明るかったなとエリックは思った。自然足が止まる。すると先を進んだチャールズは既に部屋のドアを開けていた。蝶番の軋みが耳障りだった。思いのままに手を動かすと音が止む。エリックは満足して部屋に向かい、中に入ると手を使わずに扉を閉めた。
 ドアの正面にはやはり窓があった。その下にはベッド。そしてサイドテーブルを挟んで並行に進んだ目線の先にも、同じベッド…があるはずだった。
「何だこれは?」
「どう見ても、簡易ベッド…だね」
 チャールズは、大きいほうのベッドに座っていた。後ろから月が見ているようだった。逆光で表情が暗い。
「二人部屋じゃないのか?」
「うーん、一応二人部屋のキーだと思うんだけどね…」
 彼女からは何も嘘を付いている要素は感じなかったのに、というチャールズに、エリックはニヤっと笑って返す。
「お前の能力の欠点だな」
「……そういわれると言葉もないよ」
 彼女はこの部屋を正しく二人部屋と認識し、まったく疑う余地を持っていなかったのだ。客の立場から言えば、一人部屋に無理やり簡易ベッドをもう一つ押し込んだ形で、これは注釈が必要なレベルのものだ。
「気をつけてイメージの奥まで見れば間違えなかったんだけどね。ちょっと…」
 そういって、チャールズは頭に手をやった。
 酒を飲んでのことだと誤魔化そうとしているが、実際チャールズはかなり疲れているようだ。確かに酔っているだけとは少し違う様子が見て取れた。
 今日一日。朝からだった。空港から目的地に着いたのが午前九時前後だから、そこから昼を挟んで午後六時まで。目標が分からない状態で能力を開放していくのは、かなり疲れる行為なのではないかという事にエリックは改めて思い至った。早く休ませたほうがいいだろう。エリックはバスルームへの扉を開けた。
「水まわりの状態を確認してくる」
 エリックの申し出に、チャールズは片手を上げるだけで答えた。
 
 シャワーは水量調節が難しく、更に悪いことに湯が出なかった。水が出るだけましか、と思い直して、エリックは調べを終えた。
「チャールズ、水しか…」
 顔を出して呼びかけた所で、座ったままベッドに仰向けに倒れているチャールズが見えた。エリックはバスルームを出ると、チャールズの肩に手を掛けた。
「チャールズ、そのままだと明日が辛いぞ。また飛行機だっていうのに」
「………ん…」
 チャールズの様子に、今から目を開けて、立って歩いて、更にあの気難しいシャワーを相手に出来るとは思えなかった。バスタブに冷水を溜めても仕方ないし…と、エリックはチャールズを風呂に誘導することをあきらめた。座ったまま後ろに倒れたチャールズの靴を脱がせ、両足を抱えるとベッドの上に乗せてやる。ベストを脱がせるべきか少し迷ったが、そのままにして、毛布をかけた。寝顔は穏やかだった。エリックは規則正しく聞こえて来るチャールズの寝息を確認すると、そのままバスルームに向かった。
 頭上から流れる冷水にじっと立ち尽くす。しばらくそうしていた。冷たいシャワーには慣れている。特に何も感じず、作業的に体と頭を石鹸で擦ると、頭がはっきりしてくる。そんな所も冷水の良いところだとエリックは思った。今まで感じなかったことを感じはじめていることに、エリックは気づいた。冷たい……。エリックの中で世界が色を帯び始めようとしていた。


3.
 バスルームから出てきたエリックは、さて…とチャールズが先に眠ってしまったことで、半ば強制的に自分に割り当てられることになったベッドに目をやった。小さいそれは子供用なのかもしれない。長さも短く、寝転んでまっすぐ体を伸ばすと、足がベッドの終わりに当たりそうになる。エリックは少し困った顔をしながら、ヘッドを背もたれ代わりにして腰掛け、足を伸ばした。
 サイドテーブルを一つ挟んだ隣に人の存在を感じる。しばらくなかったことだ。誰かと夜を共にすることはあったが、用事が済んだらすぐにその場を後にしていたこともあり、同じ部屋に眠ったことはない。
 隣の男は意識が無いのだから、何を考えてもいいだろう。エリックは少しチャールズのことを考えてみようと思い立った。そして、その心向きの異常さについても、エリックはもう気がついていた。
 チャールズといると、時間がゆっくり流れているような気がする。目的は勿論ある。シュミットに対抗するための仲間を探す。力になってくれそうなミュータントの同胞に声をかける旅だ。そして、その先の目的を忘れたわけではない。
 今まではシュミットのことをいつも考えていた。何処にいるのか。何度も地図を眺めた。手がかりを潰して、見つけて…その繰り返しだった。今のような時間は、どうやって奴に復讐するか。そのことばかりだった。だが、それは苦痛とは違った。どう言えばいいのだろう。そのためには何でもするし、事実してきた。自分しか自分を気遣う人間がいないという世界の中で目的に向かって進む。それはシンプルであり決して悪くない世界なのだ。
 チャールズは、自分の中でどんな存在なのだろうか。憎むのではない。目的ではない。しかし、たまにふと考えることがある。チャールズのことを考える。その先に何があるのだろう。はっきりとしなかった。それはシンプルではない。だが、悪くはない。知らない世界が口を開けて自分を飲み込もうとしている。その予感にエリックは震えた。それが、何かは分からなかった。ただ、怒りや恐れとは違う。そう、分からないことが多いのだ。
 ふと。そう、またふとだ。いつも何でも分かっているといったような顔をする隣の男が今どんな表情をしているのかが気になった。ベッドから降りると、チャールズの方に視線を向ける。
 横向きに寝ている様子が自分の寝方と同じだな…と思いながら、相手のベッドの端に腰掛ける。月光が影を作り、チャールズの方に伸びて掛かった。実際に手を伸ばしたわけではないのに、エリックは何だかそうしたような気になって、落ち着かなかった。少し距離が近くなっただけなのに、相手の匂いと体温を強く感じる。最初はアルコールの匂いだけだと思っていたが、実際はそれと混じった汗の匂い。自分のものとは違う。
 チャールズの寝顔は穏やかだった。子供のそれと似ているのかもしれないと思ったのは、子供の体温が高いと知識として知っていたからだろうか。
 顔を見るという目的は果たした。彼はうなされている様子は無いし、毛布も自分がかけてやった時のまま、はがれてはいない。最初の興味は満たされたはずで、自分のスペースに帰ればいい。そこまで考えても、やはり手が泳ぐ。そうだ、そういえば、チャールズは髪に触れられるのを嫌がっていたな。起きている時には触る機会は無いだろう。ちょっとした興味だ……。
 エリックは手を伸ばして、チャールズの髪に触れた。少し汗で額に張り付いている部分をそっとなぞった。あの時嫌がったのは、何故なんだろう。自分が触ったとしてもやはり嫌がるのだろうか。
 触れてみると、やはり温かい。柔らかい髪の感触を確かめると、エリックは少し満足した。それが何故かは分からなかったが、口に笑みをはかせると、小さい方のベッドに帰った。チャールズと同じように横向きになると、ベッドに収まるよう体を小さくして、毛布を被った。
 答えが見つからない問題を考え続けるのには慣れていなかった。エリックは、目を閉じた。不思議と魘される予感はしなかった。


4.
 朝はいつも夜明け前に目が覚める。あまり眠ることに良い思い出がないせいか、睡眠時間はいつも短めだった。エリックは何度か瞬きをしてから、体を伸ばそうとしたが、足がベッドの端に当たったことで、昨日のことを思い出した。エリックはあまり大きな音を立てないようにそっと身を起こした。
 隣の毛布はまだしっかりとした質量を持って膨らんでおり、彼がまだそこにいて眠っていることが知れた。
 部屋の中で何かするにしても、あまり物音を立てるのも良くないだろう。エリックはトランクを能力で引き寄せると、そこから簡単に着替えを済ませ、チャールズのためにと、バスルームの状態についてメモを残すと、音を立てないようにドアを開けた。少し一人で歩こう、そう考えて外に出た。
 外はまだ暗かったが、人がいないわけではなかった。ベーカリーはもう開いているし、屋台の前には新聞の束があった。
 チャールズとあちこち旅をして、もう何度目になるだろうか。今では一人で歩くことも減っていた。
 エリックは、ベーカリーに入ると、朝食用にベーグルを選んだ。独りでいた時なら、こんなことはしなかった。部屋で食べられるものを選んだのは、起きた時のチャールズが外に出られる状態か分からなかったからだ。
 幾つか選んでから、同じ通りにあった青果店でりんごを買った。コーヒーはどうしようか…。
 独りでないと実感するのは、二人で一緒にいる時だけではない。昨夜もそうだった。一緒に話しをするのは勿論、一人でいてもチャールズのことを考えていた。今もそうだ。朝食は二人分いる。
 一人―――だが、独りではない。
 チャールズが起きたら…と、そこまで考えて、急に頭がぐらりと振れた。
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。しかしその感触を確かめるように髪を撫で付けると、海の記憶が蘇ってきた。後ろから抱きしめられた感触。響くリフレイン。
 エリックは苦笑すると、犯人の所に足を向けた。

 チャールズは隠さなかった。
「すまない。起きたら君がいなくて、サイドボードにメモが見えて、勘違いしたんだ」
「中身を読めよ。何なんだ一体」
「……ごめん。読んだんだけど、その…。なんていうか…。だから早とちりだったんだよ」
「俺が勝手に出て行ったと思ったんだろう?」
「うん。まぁ……。そうだよ」
「ずいぶんと信用が無いんだな。こっちはお前の腹具合まで考えてやっていたのに」
「ごめん」
「気分はどうだ?」
「平気だよ。だからあれば酔ってたわけじゃないんだ」
「シャワーは?」
「……ああ、今からざっとやるよ。すぐだから」
 しばらくして、ぎゃあ、とか、わぁとか、扉の向こうから聞こえてきて、エリックは笑った。お坊ちゃんには厳しいだろうな。
「エリック!」
 バスルームからチャールズの声がした。自然お互い叫ぶような口調になる。
「シャンプーなら無いぞ!」
 疑問を返してやったつもりだが、どうも違ったらしい。
「……お坊ちゃんって言うな!」
 エリックは今度こそ声を出して笑った。
 必死さが伝わってくる彼の行為の数々が微笑ましかった。彼は自分を探したのだ。焦って。能力まで使って。そんな事をしなくても、いなくなりはしないのに。
「文句があるなら、早く出て来い」
 今、何故か無性にチャールズの顔が見たかった。


5.
 目に付いた緑に沿って入った公園のベンチでチャールズとエリックは二人、朝食が入った紙袋を真ん中にして並んで座っていた。風がゆっくりと流れている。子供のはしゃぐ声がきこえた。朝露が冷たい季節から、心地よい季節に変わろうとしているのを肌で感じることが出来る、貴重な時間だった。犬と共に朝の散歩を楽しむ人々が一番目に付いたが、夫婦や恋人同士といった二人連れも珍しくなかった。一人でのランニングは勿論、中にはローラースケートを履いた子供の姿もある。何とはなしに、人々を眺めながら、朝食用にと買ったコーヒーを片手に、ベーグルとりんごを紙袋から取り出す。そうこうしているうちに、ふと、チャールズの顔が強張った。
「どうかしたのか?」
 しかし、言葉を発したことをエリックは後悔した。昨日、能力の話しを聞いていたのに。訊かずに済ませることも出来たはずだ。
「あの二人、別れるよ――」
 平坦な声音だった。
「チャールズ…」
「わざとじゃないよ。昨日も話しただろう…」
「記憶はあるんだな」
 空気が変わればいいとエリックは思った。肩眉を上げつつ、からかうように返すと、そこまで酔ってなかっただろう、と返された。あの後落ちるように寝たくせに…と続けると、彼は黙ったまま、流れ込んできた思考を追い出すように、通り過ぎた一組の男女から目を反らした。そのまま、チャールズは無言でベーグルを頬張った。エリックも無言で同じようにした。何となくそうした方がいいような気がしたからだ。二人の姿が見えなくなるほど遠くなった所で、チャールズはどこかほっとしたような表情を見せた。大きなため息をついた後、コーヒーを一口飲んだ。そして、意を決したような表情で、口を開いた。
「今から、僕が、言う事は、はっきりいってたわごとだ。嫌だと思うなら離れてくれていい。聞きたくなければ遠くに」
 はき捨てるような口調だった。声の色に苦味がある。エリックにはそれが分かった。無言で、肩眉を上げて続きを促してやる。聞いても聞かなくても大した違いは無い。そんな態度がチャールズの気負いを殺げば良い。エリックはそう思ったし事実、気にはならなかった。チャールズはコーヒーの黒さを見つめながら話し始めた。
「『本当』の自分なんて存在しない。それは幻想で現実じゃない。あらゆる意志ある固体にとっての『本当』は触れられるもの、見えるもの、聞こえるもの。そして過去の知識や経験からくるイメージだ。それらに誤差がある限り、お互いの『本当』が決してイコールで結ばれる事はない。シンディは…」
 無意識だろう。おそらくさっき通り過ぎた女の名前だ。チャールズをずっと見ていたが、喋り続ける間、瞬きをしていなかった。彼の手の中のコーヒーカップが形を変えていく。
「彼女は存在しないものの為に苦しんでいるんだ。僕には、力がある。彼女の苦痛を取り去ることも出来る。でもしない。出来るのに、しないんだ」
 なおも、出来るのに…と呟くのを遮る。
「チャールズ」
 エリックは、意図的に低い声を出し、チャールズの腕を掴んだ。
「それ以上は、危ない」
 言いながら、コーヒーを取り上げる。間にあったものが無くなったことで開いた両手は震えながら合わさり組まれた。それは祈りの形をしていた。チャールズはぎゅっと目を瞑って搾り出すような声で吐き出した。
「彼女は、週末にはこの世に居ないかもしれない」
 そうして、額に組んだ手を何度か小刻みに打ちつけた。
「僕を責めるかい?」
 しばらくエリックは返す言葉が見つからなかった。あまりにも突然だった。だが、エリックにはチャールズを否定する選択肢は何故か浮かばなかった。
「いいや。何故俺がそうすると?」
 チャールズは弾かれたように顔を上げた。
「すれ違った人間全ての人生を、お前が負う必要は無い」
 チャールズは口を噤んだままだった。二人の沈黙をよそに、今度は兄弟なのだろう、似た顔立ちの男の子が二人。はしゃいだ声を響かせながら追いかけ追い越し目の前を通り過ぎた。
 エリックは少し驚いていた。サイドテーブル越しに一晩同じ部屋で寝ただけなのに、チャールズが色々と自分に気を許しているように感じられること。そして、そのことが嫌ではない自分に。
 チャールズがもう一度長いため息をついた。ようやく、気が済んだのだろう。起き上がって瞬きを二、三回すると。肩を竦めた。
「ごめん」
 内心ほっとしていた。不安定なのは自分の専売特許だとエリックは思っていたが、彼にもこんな一面があるのだ。人は接してみないと分からない。
 温厚でぶれない人格者―――。
 これも恐らく彼の言う、『イメージ』が先行していたのだろう。
「落ち着いたか?」
 目の前に奪ったコーヒーを出してやると、チャールズは苦笑して受け取り、それを一口飲んだ。そうして、ようやく口を開いた。
「―――彼女のような考え方を、多かれ少なかれ皆、している。それは、悪いことではない。大切なのはお互いの『本当』が違うということをお互いが知ることだ。もし、皆がそう出来るのなら…」
 ミュータントは、隠れる必要など無いのかも。そう続けるチャールズに、エリックはどこか引っかかりを覚えた。
「それが、理由だといいたいのか?」
「全部ではないけれど…」
「理想だけでは無理だ。俺は、憎しみで人が殺せないことを知っている。想像と現実は違う――」
「想像と妄想で人は死ぬよ」
 チャールズは、被せるように遮って、右手の中指で自分のこめかみの上辺りをトントンと叩いた。
「………極端な例だろう」
 言いながらエリックは考え始めていた。自分にチャールズの能力があれば、シュミットをどうしただろうか。悪夢の中を遊ばせてやってもいい。それこそ相応しいように思えた。そしてまた、ふいに思いつく。こんなに思いつくままに言葉を口の端に乗せたのは初めてかもしれない。
「そもそも、それが同じかどうか本当に分かるのは、お前だけかもしれないぞ?」
 それゆえの孤独だったのだとしたら。もう長い間ずっと、人の心を覗きこみ、あらゆるものを観察しながら、どうすればそれらが近づくのか、考えてきたのだろう。決して交わらないと知ってなお近づこうとする。それは憧れに似ている。心の底はとても純粋な男なのだ。恐ろしいほどに。チャールズはその事に気づいているのだろうか。
「俺は構わない」
 エリックは目の前を駆けて行く子供らを眺めながら、自然に声を出した。人と違っていても――。
「お前と同じにはなれない」
 自分も能力に翻弄されてきた。だが、己を呪ったことはあったが、それ以外のものになる道があるのではないかと考えたことはなかった。
「わかってる」
「俺は、お前と違って単純なんだ」
「わかってる」
 さっきから自分の口数がやけに多くなったような気がしてエリックは落ち着かなかった。
「少し喋りすぎた」
 自分がどう思っているのかも。この男はわかっているかもしれないのに。言葉はどこまで必要なのだろうか。まだ分からない。
 チャールズはじっとこちらを見ていた。読まれている。だが、嫌ではなかった。
 同じにならなくても、一緒にいられる。違ったものとして、隣に立てる。それは俺たち二人だけのことなのだろうか。そういう存在でいてはいけないのだろうか。エリックは何かが心に引っかかっているのを感じたが、それが何かは分からなかった。


6.
 日差しは少しずつ強くなり、朝が終わろうとしていた。そろそろ公園には家族連れの姿が見え始める。二人の間に置いてある朝食は、不自然なオブジェのようだった。エリックはだんだん時間の感覚が分からなくなってきていた。
「そうだよ」
 何に対しての相槌なのかも不意に見失った。疑問をそのまま乗せるようにして相手の名を呼ぶ。
「チャールズ?」
「僕の力を気にしないといって僕の隣に立てる存在がいるなんて、思わなかったんだ」
 チャールズの顔が歪んだ。
「見えるんだ。いつでも。気がついてしまう。どんなに誤魔化そうとしても、関係を深めようとすればするほど、深いところが分かってしまうんだ。今まで誰も、そのイメージを否定した後に、僕の傍にいるとは思えなかった…」
 でも、君は違った、とチャールズは続けた。
「君は、僕が全てを知っていると言っても、逃げなかった。隠そうとする様子も避けることもしなかった」
 それは俺に復讐以外何も無いからだ。そう口元まで出かかったが、蛇足なのではないかと口を噤んだ。そうして、本当にそうなのだろうかと疑問も沸いた。今、自分の頭の中を覗ける男が隣にいて、自分の変わりに答えをくれるかもしれない。それは例えようもない誘惑だった。自分が昨晩から、いや、チャールズと行動を共にするようになってから続いている、『何故』や『何か』の意味を、紐解いて見せてくれるのだろうか。
 息を呑んだエリックに向けてチャールズは手を伸ばし、その頬に触れた。チャールズの青い目が閃く。
「僕は、君が思っていること。その疑問に答えることが出来る」
 エリックは目を閉じた。審判を待つように。
「でも、しない」
「チャールズ?」
「君が、言うんだ」
 そう続けて、チャールズはエリックの髪を撫ぜる。
「……どうしても?」
「勿論だ」
 チャールズの言葉にエリックはため息をついた。何故分かっていることをくり返そうと思うのか。チャールズの希望はよく分からなかった。
「……お前と一緒にいるのは嫌じゃない。ただ、それ以上の事は、まだ…」
 よくわからないんだ。とエリックは続けた。
「じゃあ、一つずつ確かめればいい」
 チャールズはそう言って、エリックの肩口に顔を埋め、ぎゅっと抱きしめた。
「これは?」
 エリックは昨夜のチャールズの体温を思い出して、ふっと笑った。相変わらず、子供みたいだ。
「嫌?」
「別に…」
 チャールズはそのまま顔を戻して額をくっつけると、エリックに向かって言った。
「続きはラングレーに戻ったらね。ちゃんとしよう」
「何を?」
 チャールズは人差し指で、エリックの唇に触れた。
「その時になったら、分かるよ」
 エリックは瞬きをした。
「エリック」
 チャールズは微笑んだ。
「ずっと、一緒にいよう―――」
 チャールズと出会う前の自分。それも悪くなかったはずだ。だが、彼の居ない世界。彼の事を考えない自分が今、想像できなかった。彼は居るのだ、もう既に自分の中に。そして、それも嫌ではない。そこまで考えて、エリックは止めた。一人ではこれ以上無理だ。
 ラングレーで、チャールズは何をするつもりなのだろう。さっぱり検討がつかなかった。ただ、それもきっと嫌ではないだろう。お互いの体が離れていくのに少し寂しさを感じた。それが伝わったのだろう、チャールズが破顔した。


7.
「行こう」
 チャールズは手を差し伸べた。エリックはふっと笑ってその手を取った。
「空港までどのくらいだ?」
「ここからだと、キャブで40分位かな」
 手を繋いだまま歩くのは、少し気恥ずかしかった。ぐいぐいと自分を引っ張って先に行こうとする手。その手に引かれるようにして、エリックはチャールズと二人、公園を抜けようとしていた。
 その時、急に強い風が吹いて、木々のざわめきがきこえた。鳥が驚いたのか大きく羽音をたてて飛び立つ。エリックは思わず足を止め振り向いた。道沿いにキャブを見つけたチャールズはそのまま進み、するり、と。手が離れる。
 それは突然にやってきたイメージだった。
 ふいに、チャールズの押し殺した声音が蘇った。

”あの二人、別れるよ―――”

 別れる――。その言葉は、不思議と心にすとんと落ち込んだ。ずっと一緒にいる。そのイメージよりもずっと親しげに自分と彼との間に滑り込み、白い布に落ちたインクのようにじわじわと広がっていくのが感じられる。季節が変わるように、雲が流れるように。逃れられないことなのだと。

”ずっと、一緒にいよう―――”

 彼の言葉が今でも耳に残っている。何時でも、何度でもくり返すことが出来る。彼の温もりを憶えているのに。そして、今、彼は変わらず自分に笑いかけているのに。さざめく梢も、温かい日差しも。何もかも、続くとは思われなかった。
 チャールズは『憧れ』という名の触れえないイメージを心の奥深くに抱いている。『理想』と言葉を置き換えてもいいかもしれない。もしそれが再び輝きだすことがあれば、誰よりもそれを厭いながら、誰よりもそれに焦がれている彼は―――。
 いつか、俺たちは別れるだろう。残酷なイメージを胸に抱きながら一人、エリックは手を握り締めた。手の中にコインは無かったが、硬く冷たい何かがすっと身の内に入っていく気がして、エリックはそっと息を呑んだ。遠くにキャブを止めたチャールズが満面の笑顔で手を振っているのが見えた。エリックは二度瞬きをすると、全てを忘れたかのように微笑み、手を挙げた。



END

2011.8.12 脱稿

イベントで無料で配ったもの。二人に色々として欲しくて頑張ったんですが、
頑張る端からエリックが全てのフラグをばっきばきにへし折っていってくれて、
結果全年齢的何かになりました。
私はものすごくチャエリのつもりで書いたのに、
読むとどっちか分からないむしろ逆に見えるっていうのは、
いつもの事なのでもうあきらめます…。



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