街の灯5







もし一つだけ望みが叶うのなら

最後にあなたの瞳が見たい

その目にこの身を映してくれたなら


ただ、それだけで――――





[街の灯]



5.
一つの騒動が終わった今、彼は私の腕の中にいた。
意識無く身を横たえる彼の重みを感じながら、ゆっくりと顔を上げる。

私の目の前には"彼"がいる。じっと私たちを見つめるその後ろには、もう一人の"私"。
あるべきものをあるべき場所へ戻そうとする装置は光の道を作り出し、その負荷に低い音を立てていた。その光が、逆光となり、"彼"の顔を隠す。

物言わぬ二人の彼は、どちらも一様に押し黙り、動かない。
私も動かない。

このまま時が止まってしまえばいい。腕の中の重みを感じたまま、"彼"の視線に貫かれて、消えてしまうことができたなら。

膠着を破ったのはもう一人の"私"だった。

音を立てていた次元装置の光が消える。"彼"は驚いて振り返ったが、"私"が頷くのを見ると、何か言おうと開いた口を閉じた。

「言いたいことがあるなら言え。終わったらまた起動させる」

そう言って横を向いた"私"にいつもの苦笑を浮かべ、彼は再び私に向き直った。
ゆっくり私の目の前まで近づいてきて止まり、目線を合わせるように屈むと、手を差し伸べてきた。
向かい合ったその瞳はどこか悲しい色をしていて………。
その事に気がついた時、私は動かなかったのではなく、動けないのだと知った。
彼の手が私の頬に触れた。

「君は、いつも。泣いているんだね」

言われて、私は目を瞬いた。しかし、そこから落ちるものは無い。
私は首を振った。私は泣いてなどいないし、胸の空白は本当は彼のせいではない。私を見つめながら"彼"の瞳の青が深くなる。眉根が少し寄った。

「ブルース。気に触ったならすまない。けれど、これだけは忘れないで――――。君は街じゃない」

心臓が跳ねた。

何故。お前が。それを。


声も出せず、私は震えた。

私は。
多分、もうずっと。

あの裏路地の惨劇から。ケープを纏うことを決めた日から。
ずっと。
私は、街が平和になれば、己も救われると思っていたのだ。
この街に、私のような子供が生まれず。
家々にともる灯はいつも暖かく、犯罪とは無縁の――。

あの日。彼が最後のヴィランを送り、街は少しずつ闇の中から動き始めた。
始めは、私の望んだように。しかし、私を置き去りにして。
しばらくして私は、その感覚が正しかった事を知る。
取り残されたまま、一人動けない自分に気がついた時、それは恐ろしい可能性を孕んで私を内部から揺さぶった。

そして、それはもしかしたら。
私が私と共にある街を望んだために、もしかしたら街を―――。

その箱の蓋はそれから開けてはいない。私たちの半身の死という衝撃に任せて鍵をかけたまま。
このままに、もうすぐ全てが終わるはずだったのに。


「君は、君だよ」

だから、もう泣かないで。そう言いながら頬にあてた手を労るように滑らせる。マスクの上からでも温もりを感じる気がする。

「君が何を考えていたのか、何となく分かるんだ」

でも…と言葉を切ると、動いていた手も止まった。自然耳に集中する。"彼"は意識してやっているのだろうか。

「僕は勿論、彼だって、君の望みを叶えない。彼は、君を殺さないよ」

「………何故、……そう言いきれる」

私が、そうしたのではなかったのだと。
彼の事も知らないくせに。

「本当は考えたく無いけれど、彼と僕とはどこかで繋がっている。そして、君を……――例えどんな形にせよ……、愛しているんだと思う」

言いながら"彼"の手は私の首筋に降りた。
そこにはもう大分前になるが、彼との行為で付けられた痕がまだ消えずに残っている。
"彼"には見えているのだ。私の身体を全て見たのかもしれない。

「だが、お前は違う」

私の望み、私の…。何度も夢に見たのは、しかし………"彼"ではないのだから。

「ブルース…」
「違うんだ…。だから……」

優しい微笑み。温かい腕。労るように寄せられる眉。ずっと夢に見ていた。それでも。
この男は違うのだ。


「おい、クラーク。いい加減にしろ。お前のは要らん世話だ」

沈黙を破った闇の騎士は、灰色の己に向き直ると続ける。

「そして、お前もだ。何がどうなってそうなったかは知らないが、頭を切り替えたらどうだ。こいつと今後の事を考えれば、そう単純にいくまい」

腕の中の彼に視線を落としたもう一人の私は、苛立ちを隠そうともせずに畳みかける。

「色々と思考が空転しているようだから、忠告をくれてやる。こいつの状態を考えろ。何が起こる?私が思い至る範囲でではあるが…、それはお前の本意では無いはずだ」

世界に力で秩序を敷いた男。その力は今は無い。ならば……。彼は……。

「全ては、お前に還る必要がある。やるべきことが見つかっただろう?」

私は、彼にかつての有るべき姿でそこに有って欲しいのだ。そして、彼のために全てを引き受けようと思った。

クラークは二人のバットマンの醸し出す空気に気圧されながら戸惑いを隠せず、下がっていろと言われたことも忘れて思わず口を挟んだ。

「…何だか、話が分からなくなってきたんだけれど…。聞いてもいいのかな?」

「聞かない方がいいぞ」

少し落ち着きを取り戻した私は、向かいの"私"の身勝手な言いように、既視感を憶えつつも腹が立った。己の深い内にあるアンビバレンツな部分を体良く"彼"から隠しておきたがるとは、なんと――――"私"らしい振るまいだろう。

「お前も私と同じだからな。知られたくはないだろう」

私は、例え彼の前から消えようとも、彼を手放すつもりなど無かったのだと。最後に囁く言葉は世界のためなのか自分のためなのか。彼を私から逃がしてやりたいと思ったのも本心だが、それと同時に彼を私だけのものにしたいと願ったのもまた―――。


* * *


私を殺すのは彼でなくてはならない。
例え事実と違ったとしても、そう思ってもらわなくては。
死は消えない。特に大切な人のものはいつまでも。
何度も何度でも繰り返すだろう。
私がそうだったように。

私は彼にとって、そういう存在なのだと。
信じたいだけだったとしても。

最後の言葉は決めてあった。

「クラーク。私の愛した世界を。頼む」

さぁ、彼の目に私の最期を鮮やかに。私の全てで、その胸を貫いてやろう。鋼鉄の肉体など何の役にも立たない。毒はゆっくりと身体に回りいずれ……。

あらゆるものを破壊しながら彼が叫ぶ声がきこえる。
暫くの間、世界は耐えられるだろうか。
だが、私の言葉は消えない。最期の姿も。もう二度と消えることはない。
その言葉の意味は長い時間をかけ、この身をもって彼に伝えてきた。
私が彼の最後の夢になる。それは呪いにも似て――――。

そして、彼は独り、地上に立つのだ。
私の願いを叶えるために。


* * *


ごくり…と、"彼"が唾を飲み込む音が聞こえた。めったに汗をかかない男が冷や汗をかく様が妙におかしく感じられた。

「………君に呪われたら効きそうだな」

やっと絞り出された声は表情を裏切らず上擦ったものだった。確かなイメージが結ばれた証拠だ。だが、そんなに分かりやすかっただろうか。"彼"も想像したことがあるのかもしれない。

「やっぱり、僕には、よく、分からないよ。だって、君は……その…僕…いや、彼のことを」

愛しているんだろう?

愛しているんだとしても。

愛と計算。打算と真実。世界とお前と。全てが私の中で複雑に同居してせめぎ合っているのだ。あふれ出る出口もないままに。

「お前には、きっと一生分からないだろうな」

もう一人の私が呟く。私と全く同じように。おかしなシーンだ。夢の中のような。

「そうかもしれない」

不意に夢を破るように、憤りを孕んだ"彼"の声が続いた。"彼"は私から離れ控えていた"私"に、一瞬で近づくと腕を取る。

「ただ、君にも知って欲しい。私だから分かる君もあるってことを。そして、私はその中で触れられる君を」

その一瞬の動きに目を奪われていると、自分の腕にも力を感じた。驚いて視線をやると、胸に抱えた彼と目が合った。

「「愛しているんだ」」

彼と"彼"の言葉が重なる。二人の心がどこかで重なっている事を示すように、ぶれない音に封じ込めたはずの想いがあふれ出す。私は今度こそ失敗したのだ。だが不思議と後悔は無かった。言葉を一つ紡ぐ度に胸に支えていた何かが甘い痛みに解けてくる。

「知ってる。知っているよ、クラーク………カル。すまない。すまなかった」

彼の瞳に映る私。彼の瞳の色。私はずっと知っていたのだと。ずっとその事を伝えたかったのだと。あふれ出す想いは言葉と共に止まらず、今度こそ彼がぼやけた。



どれくらい時間が経ったのだろう。ふと気がつくと、まばゆい光が再び装置からあふれ出ていたが、私たちのもの以外に作り出される影は無かった。野暮が嫌いな"私"らしい。物音も立てなかった。自然笑みが浮かぶ。

光と共に彼を抱き締める。本当は、ずっとそうしたかった。

「やっと、私を呼んでくれた。ブルース」

やっと。彼に告げられる。

「………君に、伝えたい事があるんだ」

やがて機械から立ち上る閃光は薄れ、消えていった。だが私の目を捉えて離さない眩さはこの腕の中にあって、消えはしない。

「        」

私の言葉に彼が微笑む。私も彼を抱き締め同じように微笑んだ。
嬉しかった。


ずっとそうしたかったのだ。



END.





[街の灯]
2008.8.17 脱稿


途中の色々は本編にローズBの内心がちょっと加わる程度だったので、
あえて書くまでもないのかとすっとばさせて頂きました。
ローズBとバッツ、白Sと青Sについては、私は本人達が思ってる程、似てないと思ってます。
(2008.8.17)

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