Novel





[終わりという名の始まりに]






「一緒に来てくれ、チャールズ」

 彼の言葉が、私を根底から揺さぶる。
 もし、君が感じているように、私も感じてしまったならば、私は崩れ落ちていく。
 感情の波が私を攫っていき、私という存在は、修復不可能なほど破壊されてしまうだろう…。そこに、私はもういない。では、そこに残るのは誰だ?
 暗い部屋の中で、お互いの表情は見えなかったが、彼も私も追い詰められていた。

「私は…」
 彼は最も忌むべき選択を、私にしろと言っているのだ。能力が発現してから必死に今まで作り上げた「私」というものを、打ち壊してしまえと。そんな事をすれば、私は正気を保てなくなる。それがどういう事か分かっているのか、エリック。君も私も、永遠に「私」を失うのだ。
「…感情のままに、生きることはできない。私には従うべき人としての規範がある」
 ミュータント能力が発現してから、私にとって、人の心と感情は恐ろしいものに変わった。
 大方の人間は、理性を謳いながら、最終的に感情に従う。そして、そうなった人間は、その結果がどんなものであれ、後悔しないと嘯く。私は様々な人間の心と触れ合い、何度も彼らの代わりに後悔してきた。ある人間は、それは正しいと言い、ある人間はそれを唾棄すべきものだと言う…。そんな様々な者との交感ををくり返すうちに、私は何が正しくて、何が間違っているのかが、だんだん分からなくなっていった。自分が、繋がった人たちの感情に引きづられていくのを感じて、私の精神は磨耗し、心が濁流に流される小船のように、この世界に渦巻く感情の中で溺れ、沈んでいくように感じたのだ。
 このままでは、自分が無くなってしまう。その思いは本能から来る恐怖の叫びだった。私は、自分の感情を自身のものとして整理するために、何かしらの指針を求めた。しかし、世界中の精神に犯された自分自身の中に、その答えを見つける事は不可能のように思えた。そして、私は、それを書物の中に求めた。人が良きものとして生きて行く為に、指針とする事ができるような道徳の世界に私は急速に引き込まれていった。その世界が私を安心させ、私の心を落ちつけたのだ。私は、心の中に人が何千年とかけて作り上げてきた規範や理性を自身の核としてすえる事で、初めて自分の知った様々な感情を整理しつつ、自分をこの世界に浮上させる事ができた。私は自分の感情からくる行動を表に現す前に、いつもその事について考えた。私の行動は果たして、この世界に良きものとして生きる人という存在に適ったものなのか、それとも…。
 次第に私の感情は、なりを潜め、そこに判断から生まれる正義が取って代わった。人としての正義だ。私の行動は全てにおいて一貫性を保ち、理にかなっている。その事が私だけでなく、周りの人間をも安心させるようになり、私は今の自分を手に入れた。私は感情に従っているのではない。理性や正義、道徳といった網でふるいにかけて下に落ちない私の感情は、決して表には表さない。表してはいけないし、表せないのだ。それは、私を呑みこんでいったあの、急流に繋がるものだから。私が私として生きて行くために…私は自分に言いきかせる。あの流れの一部にある者たちのようには、決してなってはならないと。
 そうして、次第に私の感情は、ふるいにかけるまでもなく、網から落ちなくなっていった。網の存在も忘れるほどに変化していく心を、私は歓迎した。これで、私は楽になれると思ったのだ。もう、私の心は私に根付いたのだ。揺るぎはしないと。

 だが、どうだ。今、ここで彼と対峙しているだけで生まれる、この動揺は。私は久しく感じていなかった恐れを抱き始めた。自分にあの網を思い出させる何かに。世界中の襲い来る感情の波から自分を守るために、選んだ道を壊そうとする力に…。
「…すまない、エリック」
「何故だ、チャールズ…。私はただ君を…」
 もし私がテレパスでなければ、私はこんな事を考えることもなく、この感情を表に表していただろうか。理性など、世界が決めた道徳など、私に何の関係も無く、私は自分の感情に従って後悔しないと、胸を張るのだろうか。そして、それを幸せだと感じるのだ。ああ、悪夢のような欲求が私を支配しようとしている。
 私は、彼に愛されたいのだ。
 なぜ、今になって急に襲ってくるのか。その抗いがたい欲求に、目がくらんだ。欲求のまま彼と私自身を傷つけようとしていることに震撼し、私は過ちを犯そうとしている自分に抗おうと必死だった。
 彼と対峙している私の私の声は震えていないだろうか。彼を見つめる目は揺らいでいないだろうか。
「私も…、それを求めているのかもしれない。だが、私がどう思っているかは、この際関係無いんだ」
 彼が、一歩私の方に近づいた。私は動かなかった。
 私たちの距離が狭まるにつれて、空間が磁力をましていくようだ。
「何故、そんな生き方をする?君の言う、理性、道徳、規範。それこそ、君自身とは何の関係も無い」
「私を生かしてくれた。それが無いと私は…」
「自分の心に従うことを、何故そんなに恐れる?私は恐れない。チャールズ、私の心は…」
「言うな」
「わかるだろう?」
 私はゆっくりと、首を横にふり、手を伸ばせば届く位置にいる彼の顔を静かに、しかし強い意思をこめて見た。
「難しく考える必要は無い。どんなお前でも、愛しているんだ。チャールズ」
 ああ、ついに彼は口にした。その感情に名を付け、形にしてしまった!もう元には戻らないし、無かったことにも出来ない。
 彼が片方の手を伸ばした。その手は私の頬に触れる。私は決断を迫られていた。私の望みは私を、そして彼を破滅に追いやる。私は彼にその言葉を言わせるべきでは無かったのだ。そうせずにすませることも出来たのに…。
 彼が私を…その事実を胸に刻みながら彼の手をとり、ゆっくりと自分自身から離した。踏みとどまるために。もう十分だ。
「エリック。私も、気持ちは同じだ。だが、応えることはできない」
「チャーリー?」
「わからないかい?君に応える事は、君の愛した私を殺すことだよ」
「何を言っているんだ?」
 彼の当惑が伝わってくる。けれど私はその手を緩める気はもうない。
「生き方を違える事は、私にとって死と同じだ」
「チャールズ!冗談はやめてくれ。考えたくもない」
 私は、静かに微笑んだ。重い沈黙にまたも磁場が強まったような気がする。
「愛しているよ。これだけは本当だ。私は…」
 彼が私の頬を包んだ。今度は両手で。私は言葉を続けることができなかった。彼が私の唇を自分のそれで塞いだからだ。
 そこから私の全てを奪おうとするかのように、彼は私を求めた。だが、求められ愛されているのは彼に応えることのできない私なのだ。その事を示す意味もこめて、私はされるまま決して自分からは動かなかった。重い、重い時間だった。
 唐突にその沈黙も破られた。彼が離れ、口を開いた。
「君の言うことはある意味正しい。君の死は、私の破滅だ」
 私は曖昧に微笑んだ。この時間が終わる。それはとても寂しいことだ。だが、私たちはお互いの気持ちを知っている。それは揺るがない。
「いつか、また道が交わる時がくることを、信じているよ」
 私の言葉に、彼もまた曖昧に微笑んだ。
 その瞬間。
 一瞬前まで揺るがないと信じたものが、何もかも曖昧に思えて、  私は思わず声を上げそうになった。
 何もかも曖昧だった。約束も、思いも、相手の存在さえも。
 しかし私はその衝動を必死で押さえた。触れて確かめる事はもう出来ない。道は分かれたのだ。
「私もだ」
 彼は、そう言うと私に背を向け、静かに部屋を出て行った。別れの挨拶が交わされることはなかった。静かに磁場が引いていくのを感じる。彼が遠ざかるにつれて、ここが元の地球のそれに戻っているのだ。彼が遠ざかっていく。足音は聴こえなくても、身体でそれを感じて、私は涙を流した。静かに、静かに…。
 私は自分と彼を守ったのだ。これでよかったのだという思いに嘘は無い。だからもう少し、流れる涙をそのままに、彼を愛している自分に溺れよう。いつか私たちの道が交わることを夢にみられるように…。




Fin.





[終わりという名の始まりに]
2003.11.3 脱稿

初めての小説がコレかい!って感じで、自分でもかなり微妙なのですが(汗
エリックに一緒に行かないかと誘われてるのか、愛だの何だのと告白されてるのか
途中までよく分からない感じにしようかと思ったらやりすぎて、素でわけわからない話に…(汗 
教授の思考形成過程は完全な私の妄想です。しかもかなり説明的で、微妙…。
下手くそなんですね、早い話が…。次があればもそっと何とかしたいなぁと。

脳内設定ではイスラエル時代が終わりを告げる辺りです。
別れ際に告白してる辺り、折角の蜜月期間をふいにした気分でもありますが…。
そんなじれじれの二人もいいかなぁと思って。まだこの先何十年もあることだしさ(爆


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