私はその時唐突に気がついた
私は―――――。
[街の灯]
1.
ジャスティスローズが世界を監視するようになってから、ずいぶん日が過ぎた。世界はルーサーの死よりも、私たちの手によって大きな変化を見せたように思う。
私の街ゴッサムシティもまた。暗闇の路地で私の助けを待つものはもういない。この街のヴィランは全てアーカムに。もしくはもう二度と帰ることのかなわない場所へ送られた。
あの日を忘れることが出来ない。
直接手を下したのは私ではなかった。私に彼を止められる力も、理念も方法ももはや残っていなかったとしても。それでも私は抵抗しようとした。だが結果はどうだ。気がついたら、すべてが終わっていた。そうだ。彼がその気になれば何のことはない。誰も手出し出来ない圧倒的な力。彼の目が閃いたその瞬間、私が動こうとしたその瞬間だった。動いたときには、かつて私の敵だったものは、その場には居なかった。
たった今圧倒的な熱量を持って閃いた彼の瞳の赤が、少しずつもとの青と混ざっていく。その時間はとてつもなく長いものに思われた。流れるはずだった赤い血、残るはずだった…例え骸になっていたとしても、一つの質量が、私の目の前から忽然と消えたことのショックだったのだろうか。彼の瞳、あの澄みきった空の色が、二度と自分の目には同じその色に見えることは無いのだと、思い知った瞬間だった。呆然とする私に、彼は微笑みながら手を差し伸べた。まるで子どものようないたずらな微笑み。
「これで終わった。君の街は平和になった。だから、」
これで君もジャスティスローズとしての活動に専念できるだろ?そういいながら、微笑む彼の瞳の色だけが、私にすべてがあの頃とは違うのだと思い知らせた。
私は彼にどう返事をしたかは覚えていない。彼の瞳の色と微笑みと目の前の死だけが鮮明に焼き付いたまま、その後の記憶は無かった。
そして私は街に出なくなった。正確には、どこにも。
「なぜなんだ?」
ケイヴの中に彼の声が響く。いつもの問答だ。もうここに住む蝙蝠たちも聞き飽きたことだろう。私もいい加減に自分でその答えを見つけていた。だが、だからどうということはない。どうすることも、出来ないからだ。
「何度も言わせるな。私は、ここでやることがある」
本当はやることなど何もないのだ。出来ることなど何も無い。だからこそ、ここから出る気になれない。
「無いだろう。この街は…」
「平和になった。それは認める」
彼の声を背に感じながら、キーを操る手を止めずに答えた。
「だが、今もやることはあるんだ」
しばらく沈黙が流れた後、彼が言った。
「……君が出てこなければ、ここを跡形もなく破壊するといったら?」
キーを打つ手を止める。驚きは無かった、いつかはそういう選択がされることもあるだろうと思っていた。それが今日なら今日で仕方が無いと思いながら私は、彼の方に体を向けた。
「私に抗う術は無い」
「だったら…」
「したいようにするといい。私はここで仕事を続ける」
「バットマン」
「私に出来ることはそれくらいだ」
皮肉なものだ。私に出来ることをと協力を求めに来た男が、私に出来る事は何もないということを体現するために今から私と私の残骸を破壊するのだ。彼は眉を潜めながら私を睨め付けると言った。
「笑うな」
私はそう言われて、自分が嗤っているらしいことを知った。自分で自分を嗤うのになぜお前の許可が要る?そう胸の中でひとりごちると自覚した可笑しさは止めどなく溢れでて、思わず声を上げて続けそうになった。
「私たちは世界をより良きものにするために力を尽くしている」
彼の声は対照的な響きを打って、心なしか固く。しかし心地よいバリトンはケイヴに反響して、朗々たる宣言を行っているようだ。
「君がここにいる間にも、私たちは世界中が平和に保たれるように努力を惜しんだことは無い」
彼は私から目を逸らさずに言った。
「ここに篭もっている君に。自分の力を世界のために使おうとしない君に、私たちを笑う資格はない」
彼の瞳の色が。私に、あの日を思い出させる。それさえなければ、私は彼の言葉に椅子から立ち上がったかもしれない。しかし、あの青ともつかない瞳の色が、彼を私の知っているかつての彼とは違う存在にしていた。
「君には、解ってほしい」
「別に、君たちを嗤ったわけではない」
彼が言い募る前にと私は言葉の行く手を阻んだ。
「ブルース、私は」
「もう、十分だ」
私には、もう何も無い。もし残っているものがあるとするなら…。
頬に触れる手。マスク越しに感じる体温。
「ブルース。何故、こちらを見ない」
「見ているだろう」
「話をしようとしない」
「今している」
破壊したければ、好きにすればいい。
「なら、いい。もういいんだ」
彼の手が下りて、ケプラーが裂ける音がした。
また、意識が薄れていく。もう何も感じない。
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