祈る神もとうに無くした身において、ただ。
ただ、一つ最期に。
ああ、
あの時、闇の中で彼の瞳に焼かれたのは私だったのです。
[街の灯]
2.
馴れた寝台と体温の中で身を起こすと、ギシと骨が鳴った。
傍らの彼はまだ目覚めない。少し身を抱えるようにして、私に手を絡めたまま。
熱を孕んだ空気は既に無く、冷えたそれは未だ彼に触れている部分を敏感に感じさせていた。温かい身体。その温度を感じながら、傍らの彼を上から眺める。ここしばらく、こんなにじっくり彼の顔を見たことは無かったかもしれない。
本当は知っている。彼の本質が変わったわけでは無いと言うことを。
組み敷いて、許しを請えと言った相手の横で、こうも無防備に…。
「クラーク」
憎しみや情念とは、そういうものではないのだ。もっと掻き乱され混沌とした…。
思わず苦笑が漏れた。
「お前には、きっと一生解らないのだろうな」
本当は、お前を止めることなど、たやすいことだ。
今、ベッドサイドにあるベルトから、緑の石を出すだけでいい。
まるでまだ私に向かう想いがあるのだと、いわんばかりに絡んだその手を、振りほどいて行けばいい。
正義と悪。正気と狂気。それはコインの表と裏。ああ、ハーヴが懐かしい。
…彼も、もういない。
それが、本当だったらどんなにいいか!
私のコインは立ったまま、回り続けている。はっきり分けることなど出来はしない。思えばハーヴも一途な男だった。今隣で寝ている男も。方向はどうあれ、進み出したら振り返りもしない。どちらにせよ信じることに長けて、悪く言えば疑う事を知らない。
「………」
あの時。己の半身が彼に焼かれた時からずっと、夢を見ているようだった。何もかもあやふやで、どちらにも進めない。気がついた事実を言及もせずに、ずっと心の隅に隠している。
「クラーク」
昨夜も、その名で呼ぶなと何度も言われ、その度に強く揺さぶられたが、それでも止めることが出来ない。心から告げられる言葉はもういくつもないが、それでもその中の一つは彼の名だ。
たとえ彼を元に戻せたとしても、私は元に戻らない。それは、とうに分かっていた。
バットマンはもういないのだから。だが、それを彼に告げられない。
「すまない」
散々鳴かされたせいか、涙はもう出ない。
交わせなかった睦言のように掠れて囁く甘い罪の音。それとは、対照的に苦い痛みが胸に広がる。
握り締めた拳の行き場は無く、ただ呟くように言葉は漏れ続けた。
「…すまない」
いつか、全ての罪を私に。
彼を、私から逃がして。
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