私は人の語る「真実」を信じない。
それを真と感じるのは人だからだ。人の数だけ、真がある。
ゆえに、私は語るべき「真実」を持たない。
横たわるのは、動かしようのない「事実」。
ただ、それだけだ。
[街の灯]
4.
もう一人の私が次元移動を行うための装置に手を触れようとした瞬間を狙って、私はバットラングを放った。
同時に跳躍し、振り向いた相手の顔に拳を入れる。仰向けに倒れる彼に更にと飛びかかったが、彼はそのままの体勢で足を私の鳩尾に入れ、勢いを流して投げた。
正に私だ――。そう感じつつも、身体は的確に反応し、動いている。受け身を取り、彼に向き直ると、追いかけ打ちかかろうとする相手の拳を拳でかわし、カウンターでケイブの崖下へと飛ばした。
暗い狭間を落ちていくかと思った相手は、しかしそれほど深くない場に身を下ろし、伏せた身をゆっくりと起こす。その様子を伺いながら、自分で自分の動きを眺めるというのは何というか。想像していた以上に……気分のいいものでは無いな、と改めて感じつつ、私は語りかけた。
「ここに来ると思ってたよ。お前の行動は何もかも分かるんだ」
それには応えず、言葉の途中で相手はグラップルガンを私を通してケイブの天井に向けて放つ。肩をずらすようにしてそれを避け、洞窟内の蝙蝠がざわめくのを聞きながら、私は冷静だった。彼をここに招くまでに、もう何度も胸の内で繰り返したからだ。
ワイヤーを引き寄せ、私の後ろ少し離れた岩陰の上、このケイブ全体を見渡せる場所に身を潜めた彼に、私は向き直り、ゆっくりと近づいた。
彼は今の私をどう思うだろうか。いや、違う。今からの私の言葉にどう返すかだ。いけない。気を抜くと、ここに留まるようになってから付いた悪い癖が私を侵食し始める。
「そこで何をしている」
誰何の声に、相手は応じた。
「暗闇こそ私の居場所だ」
「私もそう思っていた」
目の前の彼が言う暗闇と、私が言う暗闇。その二つの大きな差を彼は未だ感じてはいない。それを知ることは無いだろう。決して。だが、私もその時は知らなかったのだ。
「しかし、闇の中にいて何が出来る」
何が出来た。飽きもせず訪ねてくる、あの男のお相手か?
だが、口に出す言葉は別のものだ。低く硬い音で、彼を煽るように続ける。
「悪党共を怯えさせ、何人かを刑務所に送るくらいか」
「何もしないよりいい」
応える声から、相手も移動していることが分かる。お互い様子を伺いながら、闇の中を蠢く。
彼の答えは、私の答えだ。私も、そう思ってやってきた。皮肉にも昨日まで、ここを出ないことが私のすることだったのだが。その考えも、今は無い。彼の言うとおりだ。
「十分じゃない。悪党を捕まえるだけでなく、本当に世の中を変えたいと思うのなら、潜んでいないで光の下に出てくるんだ。そして世界をコントロールしろ」
自分が目を逸らし、しなかった事を。さも当然あるべきものだと主張する私の声はちゃんと響いているだろうか。ここで何度も似たようなセリフを繰り返したあの男のように。私がずっとここにいたために、あの男が口にするようになった決まり文句。わざとやっているとはいえ、言葉の苦みに顔が歪む。
「想像して見ろ。犯罪もなく、傷つけられる被害者もいない社会を」
「自由も無い」
そうだ。そして、そこにはあらゆる形での死がはびこっている。秩序とは法によって作られ、法は作られた時点で、それを侵すことを罪と定める。確かにそこに無秩序という名の闇は無い。だが、行きすぎた秩序自体が生み出した罪の加害者は被害者と同義の時もままある。思想、言論、行動――その自由。それらの死において生まれる、深い影が落とし作る、闇。その重みが相手に伝わればいいと思いながら、見えた背中に後ろから身体ごと飛びかかる。しかし、気配に気がついた相手は、身をかわした。それと同時に自分の持つものよりも濃い闇色のバットラングが右上腕を切り裂く。そのまま、反動で彼のいた場所から落ちた私は、反対側の手で着地点に選んだ手頃な岩を掴み、それを中心に回ることで勢いを殺し着地した。彼の声が追って響く。
「そんな世界の何が良い」
「何が悪いんだ」
私はそう返し、再び闇に紛れる。
相手も、闇に溶ける。向こうもこちらの居場所を探っているようだ。
「民主主義の問題は安全が確保できないことだ」
「民主主義の価値を忘れてしまったようだな」
間髪入れずに相手も返してくる。
「忘れたんじゃない。平和と安全を選んだだけだ」
違う。私が選んだのは――――。
赤と青のケープを纏った、人の形をしたものだった。
その選択を何と呼べばいいのか。今では答えを見つけていたけれども。
押し隠した、その選択の前にあったものも。
「選んだのは権力だ」
違う。もっと、個人的なものだ。
思えば私はそこから始まったからこそ、そこで終わる事を無意識に選んでしまった。
「その力で。我々は8歳の子供が、両親を銃殺されたりしない社会を手を入れることが出来たんだ」
彼も、私と同じなのだろうか。それを知るためにも、きつく強く、心を抉る言葉を選んだ。そして、同時に願わずにはいられない。初めて彼と、彼等を見たときに感じた、私たちとの「違い」を目の前の彼が肯定してくれることを。
そして。
ケイブに金物が落ちる音が響く。思わずバットラングを構え振り向くと、彼がまんじりとせずこちらを見ていた。落ちたのが彼のそれだということを目の端で確認して、再び彼に向き直る。すると、その声は静かに耳に入ってきた。
「お前の勝ちだ」
構えを解かないまま、しかし威嚇するでもなく見つめる私を、彼は変に思っただろうか。私は何とか平静を装いながらも構えを解く。表現し難い嫌な感覚が胸を通り抜けるのに耐えながら。
どうやら私は。賭けに負けたのかもしれない。
next